BLEACHの「卍解」システムの凄さについて

bleachという漫画には「卍解」と呼ばれるものが登場します。簡単にいうと各々の刀の真の力のようなもので、bleachという漫画を一躍有名にした立役者と言えます。まあ正直似たようなものは他の漫画にも出てきます。

しかし私はこの卍解のシステムが他の漫画のそれとは一線を画し、そして久保帯人の凄さを象徴していると思うのです。

その理由を書き散らしたいと思います。

 

まず設定として「基本的に、護廷十三隊の隊長である=卍解を使える 」と明言している以上、現隊長や過去に隊長であったと明かされたもの全て卍解が使えることが確定します。この「確定する」というのが重要で、するとどうなるかというと、読者が期待します。「このキャラの卍解はどんなだろう」と期待値が勝手に上がってしまうわけです。(引っ張れば引っ張るほど期待値は上がってしまいます)

例えば呪術廻戦にも領域展開という似たようなものが登場しますが、「まだ領域展開を使っていないものの、使える」と明記されているキャラはあまり多くありません。

他の漫画にも似たような必殺技の類は存在しますが、「作者が構想を固めて初めて明かされる」類のものがほとんどで、「使用するずっと前から(詳細は抜きにして)存在が明かされている」タイプは結構少ないと思います。

ましてやbleachのような、二十人近くの人気キャラの刀に対して、かっこいい形態、名前、能力が何年も読者に期待され続けるという漫画家自身にプレッシャーを与えるようなスタンスをとっている漫画は非常に稀なのです。(そして実際、京楽春水や浦原喜助卍解は何年も温めたにもかかわらず、読者の期待を悠々と超える完成度でした。)

つまり卍解システムとは、画力、デザイン、ネーミングセンスに関して圧倒的な実力を持つ久保帯人にしか使いこなせないシステムなのです。

儚い羊たちの祝宴(米澤 穂信)の感想

短編集ですが、どれも最後の1行でオトしてやろうという心意気を強く感じて面白かったです。

個人的に「玉野五十鈴の誉れ」が好きです。最後の1行のブラックな感じがなんとも言えない読後感を引き起こしますね。

というか、自分はもしかしたら従者と主人という関係性が好きなのかもと思いました。

「神様ゲーム」(麻耶雄嵩)の感想

神様ゲーム」を読み終えて

正直とても面白かったです。ページ数も200ページ程度で読みやすい上、後半の怒涛の展開は圧倒的でした。

この話の特徴的な点は自身を「神様」だと名乗る少年、鈴木君の存在ですが、彼の言動や考え方が非常に興味深いです。「もしこの世界に神様がいるとするならこんな感じかもしれない」と読者に思わせるような描写になっています。

後半の殺人事件についての推理パートがかなり本格的でよかったです。一見完全な不可能犯罪に見える手口が解き明かされていく場面で脱帽しました。だからこそラストの「答え合わせ」にはかなり驚いてしまいました。読み返すと所々に伏線があったようです。

主人公が自力で真実に辿り着く通常の推理小説とは違い、「神様」という絶対的な存在が「真実」を押し付けてくるという不条理さがこの小説における独特の雰囲気を作り出しているのかも、と感じました。

同じ作者の他の小説も読んでみたいと思いました。